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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

柚木惇が贈る作品

  柚木惇<ショートショート>

 柚木惇が贈る作品。第1回は、ショートショート。


ぼろ市サボテン


「ケータイ万能地獄

 地下鉄が混んでいることなど滅多にない。最近は、いつ乗車しても座ることができる。今日も目の前の空いている席に俺は座ることにした。向かいの七人掛けの座席もガラガラだ。

 ケータイが鳴った。今では地下鉄の駅の中だけではなく、走行中であっても地下鉄内に電波が届くようになっている。しかし、鳴ったのは俺のケータイだけではなかった。乗り合わせた客全員が一斉にケータイを手にした。異様な光景だ。この車両の皆がケータイを開いて内容を見始めている。

 一斉配信だと思った。2025年、一切の通信手段はケータイになった。かってのネットとメールはケータイと同義語となり、人々は黙々とケータイでメールを送り、届けられたメールを無表情で読むだけの世界になってしまった。

 ケータイが万能になったため、ほとんどの人が自宅で仕事をしても問題がなくなった。自分の仕事さえやっていれば、わざわざ会社に行く必要がなくなったからだ。学校に行く必要もなくなった。ケータイで授業ができるようになったからだ。日常会話は絵文字の入った下手くそな文章を交わすだけとなり、会社や学校は何時の間にか無人化した。

 人が街に出なくなったので、商店街はあっという間にシャッター通りとなった。実際、ほとんどの買い物はケータイを使ってのバーチャル・ショッピングで用が足りた。コンビニも店員がいなくなり、自動販売機と同じになった。だから、こうやって街に出ること自体が珍しくなり、ラッシュアワーという言葉は何時の間にか死語になっていた。

 俺は向かいの座席に座っている連中に向かって心の中で呟いた。全くロクな連中じゃない。皆が皆、ケータイ依存症なのだ。ケータイだけが外界との接触口なのだ。こいつら、ケータイを取り上げられたら、悶絶死するに決まってる。考えることを放棄した顔の列だ。全員が奴隷と同じだ。生きている価値なんてあるのだろうか。

 人と逆のことをしなければダメなのだ。家の中にいて、ケータイと一日中向かい合ってるだけじゃダメなのだ。俺のように生きている情報を外に出て収集しなければダメなのだ。

 そう思いながら、ケータイを開けた。政府広報だ。ゴミの収集方法が来月から変わるらしい。毎回、思う。政府の一斉配信は至れり尽くせりだ。

 ケータイから目を離し、前に座っている乗客の顔を端から端まで見つめて驚いた。何だ、こいつらの顔は、と思った。一斉配信を覗いている乗客の顔に目や口がないのだ。俺はのけぞった。目の前の乗客全員がのっぺらぼーだと気付いたからだ。

 そのとき、不思議に思った。あれっ、俺の向かいの席には人が座っていない。ちょ、ちょっと、待て。と云うことは、向かいの窓に写っている顔ののっぺらぼーは…。

(了)」




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